「健康が大切」と気づくのはいつ?

定年退職がだんだんと近くなってきて、健康問題を考えるようになってきた。

会話でも「健康が一番」というフレーズが多くなってきたように感じている。

確かに「健康が一番」というのは筆者にとっては事実であり、多くの方にとってもそうだろうと思われる。ただし、その健康の大切さに気付くのはいつなのか?

よく言われるのが、「失って初めて気づく」という言い方もするが、幸いなことに筆者は現在きわめて健康である。そう考えると、失うor年を取るというタイミングが健康の大切さに気付くタイミングなのかもしれない。

失わずにその大切さに気付くことができた筆者は、きわめて幸せなのかもしれない。

健康の次に大切と考えられる「お金」についても、同様のことが言えるかもしれない。

(何らかの形で)お金を失う(浪費?)or年を取ること(機会損失)で、お金の大切さを気づくことになるかもしれない。

生活費はいくら?

「人生において、どの位お金が必要なのか」という疑問に対して、皆さんは何と答えますか?

この質問を聞かれたときに、筆者は「必要なだけあれば良い」と答えることにしている。

当たり前と言われてしまえばその通りであるが、実際どの位の人が、その認識があるだろうか。言うまでもなく、お金は手段であり、目的ではない。

したがって、お金を貯めることが目的になってしまったら、人生は味気ないものになってしまうのではないか。必要以上に働いてしまったり、それによる健康を害してしまったりするかもしれまい。

必要なお金=生活費を把握しておくことで、人生の見通しが改善する可能性もあるし、余分なストレスを抱えることもなくなると思う。

資産形成のための第一ステップとして、自分の生活費の把握をしよう。

まずはココから。

NISA貧乏

最近の「NISA貧乏」なる言葉が使われているようだ。投資熱の高まりから、NISAへの拠出額が大きくなってしまい、それによって毎日の生活が困窮してしまうことのようだ。

特に若い人にありがちなことのようだ。

この現象はある意味、「現在」と「将来」における選択として考えられる。現在と将来を比較して、どちらに重点を置くかで、異なってくるものであろう。現在よりも将来に重きを置くのであれば、「NISA貧乏」ということも起きがちであるし、将来よりも現在に重きを置くのであれば、そうしたことは発生しないであろう。(そもそも、現在に重きを置く人はNISAに関心がない?)

そういう意味で、そもそもNISAというか投資は、「お金」を媒介にした「現在」と「将来」の交換とも捉えることも出来るわけで、どの程度が最適な「現在」と「将来」の交換なのかは、個人によって異なる、非常に難しい問題だ。

もったいない意識と投資

最近感じることの1つに「もったいない」意識と投資意識は、非常に相性が良いのではないかということだ。

筆者は、ケチというより倹約家であると自分でも思っている。

例えば、一人で食事をするときは、正直何でもよいと思っているが、家族や友人等何人かで食事をするときは、ソコソコの場所でと思うタイプに人間である。

要するに、メリハリをつけた生活を好む性格であり、とりわけ「もったいない」という意識は高いのではないかと思っている。要するに、無駄が嫌いなのである。

おそらく、そうした意識が投資にも「定期預金に預けておくなんて、、、、」という意識に繋がり、結果的に投資が上手くいったということではないかと思っている。

そういう意味では、ちょっとの差が結果的に大きな差にある事例というのは、我々の至る所にあるように思う。

ちょっとの意識や行動で人生は大きく変わるんだなあというのを感じる今日この頃でした。

最後(?)のボーナス

先日、妻とテレビを見ていたら、「ボーナス支給」のニュースが流れてきた。なんでも今年のボーナスは平均支給額が100万円を超えたとか何んとか言ってたな。

そしたら妻が、「パパもボーナス出たの?」と聞いてきたので、「一応出た」と答えておいた。よくよく考えてみると、今年の11月末に定年退職となるので、「人生最後のボーナス」だなあと感慨にふけってしまった。

一応、妻にはボーナスの一定額(うちの家の配分ルール)を渡すことにした。

それにしても、筆者のような投資好きは、ボーナス云々関係なく、一定金額が預金に入っていると、すぐに証券口座に移したくなってしまうのは何かの性(さが)であろうか。

肯定的に捉えれば、こうした性が現在の資産形成に繋がっているのかもしれないが、定年退職したら、こうした性も薄れていくのかな。

《今日はこれで、おしまい》

 

なぜ「待つ」だけで投資は大丈夫なのか。

資産形成において、「節約して、投資して、待つ」というプロセスで十分であると話をした。では、どうして「待つ」だけで大丈夫なのか。

個人投資家で株式投資を例に考えてみる。

株式会社では会社の所有者(オーナー)は株主である。なので、株主総会で色々と会社経営に注文をつけることが可能なのだ。

そうなると、経営者は、株主の意向を無視できない。株主の意向は、「利益を出して株価を上げろ」となる。特に米国の株主の要求は厳しく、会社の業績が悪ければ「クビ」になってしまう緊張感がある。

そのため、経営者は必至になって利益を出して、株価を上げようとする力が働く。そのため、個人株主は何もしなくても(待つだけ)株価は上昇することになる(機関投資家は、積極的に経営者に働きかけを行う必要はあるが、個人投資家は現実的に無理)

このように、「待つ」だけで、株主として株価上昇の恩恵に預かれるのである。

また、資産運用というと、とかく「売買」を連想しがちだが、株式であれ債券であれ、「保有」していることこそが運用である。保有することで、配当や利息が得られるのであるから。「待つ」だけで資産形成ができるのが、個人投資家にとって大きなメリットである。

 

 

 

 

 

「待つ」ことで大丈夫か

筆者は長らく「資産運用」の仕事をしてきた。30年を超える経験になり、ほぼ会社員人生の大半は資産運用に従事してきた。

その筆者が資産形成とした話しているのが、「節約して、投資して、待つ」である。

おそらく多くの方は、「節約して」と「投資して」については、理解できるのではないか。

最後の「待つ」は、ある意味「そのまま」、「ほったらかし」なので、本当に大丈夫?と思ってしまうかもしれない。しかし、大丈夫なのだ。安心して「待って」ください。

ともすると、人は難しいことに価値を見出しててしまう可能性がある。資産運用等の将来の不確実な事象に対しては、特にそうした傾向があるかもしれない。が本質はシンプルなのだ。

では、どうして「待つ」ことが有意義なのか。次回説明したい。